2008年7月29日
時代をさらに遡って、私が社会に出た頃の話を書きたいと思います。
電気に興味を持ち、将来はその方向へ進みたいと考えていた私は電子工業科のある高校に進学しました。その頃、新社会人は「金の卵」と呼ばれおり、私自身も一流電気メーカーへの就職を夢みていました。
しかし、卒業前には家庭の事情により家業を継ぐ事になりました。
大好きな電気の道に進めない・・その後は夢を失い、勉強もせずに趣味の無線機に熱中する日々でした。
そうして石油販売業を継いでからも、エレクトロニクスエンジニアへの夢は諦められず、その仕事内容を石油販売業から石油ファンヒーターの販売・修理と、少しづつ電気の世界へ近づけていき、後に電気工事士の免許を取得しました。
暖房機器・空調設備関係の仕事としては、まずダイキン工業の代理店になりました。
産業ロボット事業としては、京都のベンチャー企業からの仕事依頼も受け、あこがれのエレクトロニクス産業に携わるようになりました。
そんな時、私の会社の事業内容を良くご存知のお客様から
「究極の暖房が欲しい」「君なら作れるだろう」と言われたのです。
それなら・・各部屋にセンサーを付けて冷暖房を行い、人間が感じる暑さや寒さをセンサーで読み取って、温度・風量・風向をコンピューターで自動制御させれば良いのではないかというのが、私の単純な考えでした。
実現こそしませんでしたが、"究極の暖房"という言葉は、いつも心の中で引っかかっていました。
"究極の暖房"とは何なのだろう?
そんな事も忘れかけていた頃、旧友を尋ねてしばらくアメリカに滞在する機会がありました。
彼の家には暖炉がありました。毎日、毎日、暖炉に火を入れるのが滞在時の私の日課でした。そうしてぼーっと炎を見ていたら、今までの人生で感じた事のない、とても心地良い想いを体験しました。
体だけでなく心まで温めてくれる。
そして、今までの自分の人生が、頭の中でドラマのように巡る。
暖炉を前にすると、ゆったりとした感覚と、正直な自分が見えてくる事を感じたのです。
その炎は私の心を溶かし、萎縮していた気持ちを解放してくれたのです。
そしてあの言葉を思い出しました。
"究極の暖房"
「これだ!!」と思ったのです。
早速翌日、近くにあるホームセンターへ行き、そこで販売されている全ての暖炉のメーカー名を書き写しました。暖炉はたくさんありましたが、薪ストーブは置いていませんでした。
そうしている中で、バーモントキャスティングスのカタログに出会いました。
これこそが、自分が求めているものではないのだろうか。
一度、帰国して薪ストーブの事を勉強し、体制を整えて、再度アメリカへ渡りバーモントキャスティング社を訪問しました。
バーモントキャスティングス社の薪ストーブを日本で販売する決意を固めていました。
それまでの仕事と平行して、バーモントキャスティングス社の日本総代理店であるファイヤーサイド社のポール社長と共に、薪ストーブの施工販売業を開始しました。それが、今から約20年前の事です。
~第三話へ続く~
私と薪ストーブとの出会いは、21年前にさかのぼります。
当時私は、大型暖房機の販売メンテナンス、空調設備の販売工事を行う傍ら、産業用設備機器の設計製作を行っていました。
ある日のこと、設計依頼の中にプラス40度とマイナス40度の恒温槽(※)の製作依頼がきました。
注文通り、それは大きなものになりましたが、納品。
早速試験機が設置され、ワークを流し試験する事になりました。
何の試験機かは極秘事項で、事前には知らされていませんでした。
直径15cm高さ15cm位の筒に、四方4枚の板が縦向けについた物が数個、ワゴンに乗せて運び込まれました。それはチタンで作られた綺麗な物でした。
それを目にしたとき、私は直感的に何であるかを認識できました。
そして同時に、血の気が引く思いを全身に感じたのです。
自分の勘違いであることを願い、担当者に「これは何ですか」と、恐る恐る質問しました。
「ミサイルの翼部分ですよ。
プラス40度は赤道周り、マイナス40度は北極周り、それぞれの温度にどれだけの追従補正をすれば良いかを測定するための恒温槽です。
聞いていませんでした?」 そう、軽く説明してくれました。
自分が請け負った仕事が「ミサイルを製作するための仕事」と知り、私は愕然としました。自分が請け負う仕事の内容に疑問を持ち始めていた頃、私はたまたまアメリカに行く機会に恵まれました。
そして、そこで「ある物」と運命的な出会いをしたのです。
~第ニ話へ続く~
※恒温槽・・・任意に設定された温度を保つように設定された部屋